愛しの他人

他人がすき

徒歩圏のダンディズム

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以前書いた天国のようなBarについて、通称を「Bar天国」とする。Bar天国では 水曜日と土曜日になると、オープンからほどなくマスターとお姉さんがカウンターの端の席にグラスとジャックダニエルのボトルを準備する。19時45分にはお菓子を小皿に出し、厨房でマスターが銀杏などを炒り、カウンターでは氷をピックで割る。きっかり20時にジョージさんがやってくる。

ジョージさんはいつものお寿司屋さんで夕飯を済ませ、ピアノ・バーで馴染みのピアニストの演奏を聞いたあとに立ち寄ってくれるのだ。決まってジャックダニエルのバーボンソーダを飲み、ボトルは毎月きっかり1本空く。この店との付き合いは20年、マスターとの付き合いはもう40年近くなるのだという。

働き始めてすぐの頃、水曜と土曜は特に気が楽だった。マスターが仕事に慣れないスタッフにはジョージさんの前に立つよう計らってくれるからだ。彼はお客さんのプロなので、誰よりも店のことを知っており、スタッフが何に気を配るべきで、何を気にしないで良いのか、完璧にエスコートしてくれる。チュートリアル的な存在として、カウンターの外側で見守ってくれる人だったのだ。

ジョージさんは独身で、少し背が低く、いつも小綺麗なスーツを着ていて、常にご機嫌な人だった。初めて務めた会社一筋で働き続けており、すごく出世したり、お金持ちになったりするわけではなかったけど、出来る範囲でオシャレを工夫して、1週間の中に定めた予定をキッチリ守って、楽しみながら暮らしている。

ジョージさんがどれだけ素敵なおじさんだったか、思い返すとキリがないのだけど、彼が60歳になった夜のことが特に記憶に残っている。主役を問わず誕生日やお祝いごとの席が大好きなジョージさんは、お店で用意したケーキを食べ、みんなが用意したお花やプレゼントを貰い、いつも以上にニコニコで、マスターに向かって話し始めた。

「僕は今日からおじいさんになりましたからね、赤いちゃんちゃんこは着ないけど、色んな事を引退しますよ」

60歳なんて、マスターが70歳のBar天国では若造である。まして彼はオシャレで若々しい人なので、なぜそんなこと仰るんですか?お若いじゃないですか、と言うと、とんでもない!という調子で返された。

「還暦ってね、昔だったら杖ついたご隠居でしょう。今はみんな働いてるけど、僕は順番交代が大事だと思ってるからね。定年だって伸ばせるけど、キッパリ今年で退職にします。何とか蓄えで死ぬまで暮らせそうだしね。老人になったら、なんでも若い人に順番を譲って、交代しないとね」

ジョージさんは独居を寂しいとは思わず、自分の暮らしを気に入っていると話していた。隠居後も、週に2回続けてきた、ささやかな楽しみとともに暮らしていくのだろう。何十年も同じコースなので、もちろん立ち寄るどのお店も彼と仲が良く、連絡先も知っている。もし、いつものコースに彼が現れなかった時はどうなるかというと、事前連絡無しの“無断欠勤”だった場合は、彼の行きつけのお店間で連絡を取り合うのだ。お寿司屋さんと、ピアノ・バーと、Bar天国で「そちら行かれました?」「ウチもいらっしゃってないです」となったら、本人にメールと電話で連絡を取る。それでも返答がなかったら、店のスタッフ達が家まで安否を確認しに行くだろう。何人もで、慌てて。

「僕が家で倒れてても、多分3店舗のうちの誰かが見つけてくれるね」と冗談混じりに話していたことがあるけれど、本当に行政でもなんでもなく、夜の街のネットワークが彼のセーフティーネットになっているのだ。常連も極まると思わぬオプションが付いて来る。彼がお金を沢山使ってくれる、いわゆる「上客」なのかというと、そんなことはない。ただ、「馴染みのお客」なのだ。“超”のつくレベルの。

みんなジョージさんが大好きだった。それは家族や恋人、友達や同僚などどれでもない、お店とお客さんという関係だけにある不思議な愛情だったと思う。もしかすると、キリスト教伝来の時に、神の愛にあたる“Love”を「愛情」ではなく「御大切」と訳したという心持ちに近いかもしれない。

ジョージさんは宣言通り、60歳で会社を定年退職し、「おじいさんらしく」と白髪混じりのあごひげを伸ばし始めた。よく似合っていて、ダンディですねとみんなで褒めた。

彼が退職前の10年間ほど、勤務先の経営難など様々な不運から、風当たりの強いポジションに置かれ続けていたと知ったのは、かなり後になってからだった。定年退職の日でさえも、花束どころか10代から務め続けた社員に向ける労いの言葉すらなかったという。

お店で見かける彼は、いつもニコニコで、毎日に何の辛いこともないといった風に穏やかだったので、実情を知ったときはとても驚いて、改めて考えこんでしまった。

オシャレなおじさんだなぁとは思っていたけど、本当に“洒落た”人というのは、お洒落で居られる場所を選んでいるのかもしれない。もしかすると、ジョージさんはずっと、週2回ぐるっと馴染みの店を歩いて回ることで、親切で愛されるお洒落な人間としての時間を作って、それでもって他の日々を頑張っていたのかもしれない。

その夜は、カラオケがとても上手なお客さんが渋い声で谷村新司の『ダンディズム』を歌ってくれたので、店内は大盛り上がりだった。ジョージさんも大はしゃぎだったが、カウンターでグラスを拭きながら、彼が「御大切」にされ続けられたのは、他ならぬジョージさんのダンディズムの賜物なのだろうと考えていた。

悪王子に会ったこと

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今回はハチャメチャのめちゃに長くなったので先に告知を書きます。

今週の日曜日、1/25もスナックカワウソの日です。日本酒の会云々と言ってたのが延期になりそうなので、今回は普通に開けていようと思います。次の日は平日だから、終電までに閉めちゃうよ。代わりに16時くらいから開けようと思います。軽くお腹がふくれるような物と、また安酒を準備しようかな。

それなりに飲み屋が得意な諸氏、行こうかなと思われましたらば、Gメールの「snack.otter」へご連絡ください。場所などご案内いたします。よろしくどうぞ。

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“悪王子”とは京都にある地名です。本のタイトルにもなった“天子突抜(てんしつきぬけ)通”とか、“上終(かみはて)町”とか“暗(くらがり)町”“馬喰(ばくろう)町”とか、京都にはナイスな地名がてんこもりなのですが、中でも凄くパンチが効いた名前で、由来を調べてみるとスサノオノミコトから来ており、「悪」はワルいではなく強いという意味だとか。なるほど…がっかり。

てっきりこの名前は、釈迦が由来だと思っていたから。浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が、晩年に「愚禿」(愚かなハゲ!)と名乗ったように、「悪王子」も、一国の王子でありながら、仏道に帰依する為に妻も子も国も捨てたことを卑下して釈迦を呼ぶ別称なのかなぁと考えていたわけです。

ずっと前のこと。気になっていたBARに立ち寄ってみたものの、一人で入って良いのか躊躇われ、ドアを開けて素直に聞いてみることに。顔だけ覗いて、「すいません、ここは仕事帰りに一人で立ち寄っていい店ですか?」と聞くと、カウンターのお姉さんが「もちろん!」と、気さくに迎え入れてくれ、席についたのでした。ラムかなんか飲んでいる内に、店にやって来た男性と隣り合い、最初はガンだのダムだのとアニメ談話をしていたのが、だんだん話し込み、生い立ちの話にシフトしてゆきました。 

明日は実家で3回忌やねん。えっ!いいんですか飲んでて?うん、嫌いなジジイやったから。地元は京都じゃないんですか?…そう、もう京都に住んで長いねんけど…。仕事で京都に?いや、放浪で流れ着いた。放浪で?うん…俺なぁ、長いこと浮浪者みたいに生きてたんよ。

成績も態度も悪い自分が無理やり放り込まれた地元の高校は作文だけで入れる学校で、初日の授業はひたすら先生の横で腕立て伏せをすることだった。倒れ込めば腹を蹴り上げられ、耐えられる訳もなくその日に退学。軍隊あがりの祖父にそのことを知られると同時に、1歩も家へ上げてもらえなくなった。所持物はポケットの千円といくらかの小銭だけ。当時付き合っていた彼女の家へ転がり込み、友人の家を転々としながら暮らし、何とか定時制の高校へ入り直して卒業した。そこからは気ままな生活だったという。

うちに帰りたいとか、全然思わんかってん。ジジイのことで覚えてるのって、縛られてどつかれてたようなことばっかりやから、追い出されて逆に気が楽になったんやな。俺、殴られるのがイヤで、強くなりたかった。…で、なった!とにかく強いし、丈夫やし、滅多なことでは死なへんよ。うん。

話し始めた当初、彼はギターを弾いたり、後ろの席の仲間に声を掛けたりと機嫌がよかった。でもだんだん言葉が少なくなり、会話に長い間が空くようになった。これ以上突っ込んで聞くのも悪いと思って切り上げようとすると、彼も一緒に店を出ると言う。結局近くのカフェバーに移り、もう少し続きを聞くことにする。

彼は随分と歳上らしかったものの、言葉の扱いがシンプルで、話すのに少し苦心する人だった。比喩、暗喩、倒置、仮定の言葉が使えない。とにかく装飾なしで話さないと上手く伝わらない人だった。

ホンマに気楽やってんな。悪いことばっかりして、女の子ともいっぱい遊んで…。道でギター弾いて、適当にヒッチハイクして、いつのまにか京都にいてんな。テレクラで客いれたり、テキ屋パチ屋、なんでもやったよ。浮浪者みたいな生活してんのに、金が入ったらまっすぐ風俗行って…いつ死んでもええねんとか、そんなことばっかり言って。でも、ホンマに…。ホンマに明日死ぬってなったら…死にたくないって…。どうする?明日死ぬっていわれたら。いや、明日とか今夜とかやったら、まだマシかもしらん。中途半端に…半年後とか、来年とか…

急に顔色が真青になり、身震いした彼の背中をさする。吐くのかと思った。 

あんな、50%くらいやってん。俺の場合。薬があるけど、ちゃんと効かへんかったらもうあかん。ってな。情けないな。実際ムチャな生活で、死んでもいいとか言ってたのに、怖くて…もう、狂ったよ。周りにいる知り合いの女みんな犯したろうとかって。でも付き合ってた子とか、昔の彼女とかはみんな、携帯から消してん。誰にも頼ったらあかんと思ったから。どう思う?俺、今はそんな風じゃないやろ。浮浪者で、クズみたいで、お前絶対ジャニスとかみたいに27歳で死ぬ!とか言われて、俺も笑って、そうやそうや!死んでもええ!なんて言ってて。でも助かったとき、涙が止まらんかったな。

俺ムチャクチャやったから、昔の俺しか知らん友達とかは、今でも俺を悪く言うみたいやねん。でもそんなこと、ホントにどうでもいい。俺自身が、今までに会った人のことを悪く言わなければ、それでいい。誰かにムカついた事の話とかすると、それは自分の目線から、主観の話になるやろ。腹立ったヤツのこと、俺と一緒に怒って欲しいってことになるやろ? そんなんしたくないねん。もう、そういう風になってきた。多分、死なずに済んでから。

1杯のコーヒーを飲む間にそんな話をして、途中までタクシーに同乗して帰りました。 若干警戒したままだったけれど、何もやましいことはなかった。彼と別れたあと、腕を組んで、うーん。悪王子だ!と思ったのだ。

そして、町田康の書いた『人生の聖』のことも思い返した。今夜会った彼はとても聖人と呼べるような人ではないし、もしかしたら全部嘘の話なのかもしれない。でも、そうだとしても、初対面の席で4時間もひとり芝居を打ってくれたのなら、それは価値がある。ありがたいことだ。

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」そして「地獄は一定すみかぞかし」と反芻する。今日は悪人と飲んだのかもしれない。だとしても悪王子だった。スサノオノミコトでも、勘違いしていた釈迦でも、どっちでもいい。20年後くらいに再会できたら、彼はきっと悪王子の時代を終え、人生の聖として生きているのだろう。

得したのか損したのかよく分からんけど、そんなことがありました。

 

天国での思い出

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2年間ほど天国でアルバイトしたことがある。20年以上続く老舗で、薄暗い店内に重厚な木製カウンターがアールを描き、控えめな音量でジャズが流れていた。店に立つのは当時70歳のマスターと、勤続10年以上になる接客の神と、酒飲み担当の賑やかし。白髪のマスターは血色も良く姿勢はしゃんとしていて、いつも銀縁の丸メガネをかけ、ベストに蝶ネクタイを合わせ、ピシッとキメてお客さんを迎える。人気のお酒は竹鶴の12年か、鶴の17年。カクテルはスタンダードなものだけ。マスターに合わせてお客さんも白髪の紳士が殆ど。みんなとても品が良く、政治家とヤクザはお断り。好きな場所で好きな客だけを相手に、好きなように営業する。今までに知る限り、最も天国に似たBARだった。

その天国を構える以前も、マスターはずっと水商売一徹だったそう。学生時代にアルバイトでBAR(と言わず、当時は洋酒喫茶と呼んだとか)に務めたのが面白く、雇われ店長になり、店を出し、景気に合わせてどんどん店を増やし、女で転んで全部畳んで…50年ほど色々なことがあり、行き着いたのがこの店なのだと話していた。

マスターが人生で初めて務めた“洋酒喫茶”の話を聞いた事がある。店名は「どん底」といって、京都の市街地から少し離れた所にあり、地下1階の小さな店だったとか。今はとっくに無くなったけれど、偶然その場にいたお客さんも、昔飲みに行ったよ!と嬉しそうだった。店名はゴーリキーの芝居が由来かな…とは考えていたけれど、話を聞いた数年後に上京した際、新宿に同名の居酒屋があることを知った。聞けばこの店こそ、ゴーリキーの芝居に由来して名付けられ、新宿で60年余も愛され続けている老舗らしい。ただ、京都に支店があったことは無いようだ。1951年創業とあり、マスターが京都の「どん底」で務め始めた頃には既に人気店だったはず。有名店にあやかって名付けたのか?その時代だけは支店があったのかも?偶然同じ芝居のタイトルから?当時の流行だった?それとも、何も意味なんかないのかも。

周囲に聞いても、新宿の「どん底」に足を運び、店員さんやお客さんに聞いてみても、結局その謎は解けないままだった。

マスターは、決して個性的ではないところが魅力的な人物だった。ごく普通に(と本人が主張する)青春を送り、夜の街を愛し、華やいだ時代には大いに華やぎ、時代に影が差すと共に老いて、昔を知る人たちと過去を懐かしむ。マスターの70年間を知ることは、彼の人となり以上に、あらゆる時代の素直な姿を知ることに通じるのではないかと思う。

田舎から出てきて、新しいものに憧れ、野心に燃える若者だったであろうマスターは、なぜ『どん底』という名前の店を選んで働き出したのだろう?高度成長期の、ワクワクするほど何もない時代に、どんな面持ちでカウンターに立っていたのだろう。同じ頃の新宿「どん底」では、どんな人々が、どんな風にお酒を飲んで過ごしていたんだろう。

またあの天国に立って、お客さんやマスターの話に耳を傾けたい気もするし、別の場所で、自分の生きている時代と素直に付き合い、マスターにとっての「どん底」みたいな場所と出会いたいような気もする。

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あっという間に2週間経ち、今週の日曜もスナックカワウソを開けます。

前半は貸切りですが、22時以降の遅い時間で良ければどなたでもどうぞ。安ワインや焼酎を選んで持って行くので、それらは1杯300円くらいで出します。ツマミも合わせて作ろうかな。連休の中日なので、人の入り方を見て朝まで開けてみようかと思います。夜中の飲み屋街が怖くない成人諸氏、行こうかなと思われましたらば、Gmailの「snack.otter」へご連絡ください。場所などご案内いたします。よろしくどうぞ。

ブログと飲み屋のバイトを始める

タイトルのままで、ブログを作りました。あと、性懲りもなくまた飲み屋のバイトをすることにした。といっても、一応本業の仕事は別にあるので、生活のためではなく単純に面白いからバイトする。特に飲み屋で勤めるのは面白い。ずっと隙あらば飲み屋でバイトしてきた人生だった。カウンターに立っている間は、舞台に立つのと同じつもりでいなさいと教わったけれど、悲喜こもごもの人生劇場を観覧するのは完全に働く側で、時にはその場で上演された演目のあまりの出来のよさに涙することもあった。これは普通に友達と飲んでいても目にし得ることなんだけど、カウンター越しに見る人生劇場の味わいは何物にも替えがたい。久しぶりに訪れた壮年のお客さんが、たまたま話の流れから昔惚れた女性のその後を知り、今も近くに居ると分かって、店の者の連絡で呼び出すことが叶い、再会する。こういうことが一晩のうちに起こる。あるいは「焼酎しか飲めなくて」というお客さんにマスターが棚の裏から出したボトルを供すると、みるみる笑顔になり、その日からボトルキープがウイスキーに変わる。おそらく幸運も大いにあって、飲み屋では特にいい思いばかりしてきたので、すぐにこうしたエピソードをもとめてバイトを始めてしまう。

今回バイトするのは新宿で、カウンターだけの小さなお店。バイトというより1日マスター制で、ほとんど1人で勝手に店を回してねという形。おお、遂にスナックカワウソの爆誕だ。自由度が高くて面白そうなので、どんな風にすれば楽しんでもらえるか、色々作戦を練っています。

12/28より隔週の日曜だけ店に立ちますが、なにぶん小さな店なので、人が来すぎても入れないし、来なすぎても困るし、しばらくはwebでの集客は止そうかなと思います。でも興味があったら何らかの形でご連絡をください。一緒に飲みましょう。

愛しの他人の皆様へ。

はまなかについて/女子力よ、屍を越えてゆけ

 

■この日記は長くなる。

今日の議題は「宮崎あおいランドにはどんなアトラクションがあるのか」でした

— はなまか (@hmnk)
April 15, 2013

■「はまなか」という女が現れたのだった。20代半ば、色白で背が低く、初対面でもニコニコしていて可愛らしい。酒もそれなりに飲めるようで、共通の友人が酒席に彼女を招いてくれ、知り合うことができた。店も2軒目になり、大概に酒も回った頃、はまなかが「ちっともモテない。どうしたらモテるのかわからない」と言う。

■帰宅してTwitterを見ると、はまなかは2007年からアカウントを持っていた。古参すぎるだろ、と思いつつフォローを返して数日後に見かけたのが冒頭のpostである。すぐ以下のようにpostした。

はまなか、そうやって面白い事言ってるとモテないぞ。

— カワウソ祭 (@otter_fes)
April 15, 2013

 

はまなかが面白いこと言ったらガンガン取り締まってゆく。

— カワウソ祭 (@otter_fes)
April 15, 2013

 

■はまなかがなぜモテないのか?面白いとなぜダメなのか?ちょっと心当たりがあるのだ。良い転載もとが見つからなかったので、以下自分で保存していたメモから書き下し文のみを抜粋する。

「宿直草(とのいぐさ)」巻二の六
『女は天性肝深き事(女は生まれつき度胸があるということ)』

摂津の国富田の庄に住む女が、郡を跨いで男のもとへと通っていた。道のりは一里以上あるので、行って横になる暇さえ惜しいほどだった。また、ちゃんとした道があるわけでもなく、田んぼの細い畦を行き、里の犬には吠えられて、夜露に濡れる道ばたで行き交う人目をやり過ごし、忍びに忍んで通うのは、まさに恋の奴隷であった。 静かに夜は更け過ぎた夜明け夙の暗闇を、情けに替える一途さは、実に見上げた心である。

通い道の途中に、西河原の宮という、森の深い所がある。そこを越えると、潅漑(かんがい・農地に水を引くこと)用の溝があって、ひとつだけ架けられた橋を渡る。ある夜、女がそこを通ろうとすると、橋が無くなっていた。溝の上流下流を眺めてみれば、死人が一体、溝の中に横たわり仰向けになっている。女は、ちょうどよかったと思い、その死人を橋代わりに踏んで渡ろうとするや、この死人が女の裾に噛み付いて放さない。振り解いて押し通りはしたものの、一町ばかり行き過ぎたころ、「死人に意識はないのに、なんで私の裾に食いついたのかしら。おかしいわ」と、また元の所へ戻って、わざと自分の後ろの裾を死人の口に入れ、胸板を踏んで渡ってみた。すると、さっきと同じように噛み付いた。「さては」と思い、足を上げてみれば口を開く。「やっぱり死人に意識はなかったわ。足で踏むか踏まないかで、口を塞いだり開いたりしたのね」と納得し、男の元へと行った。そして、褥にもぐって寄り添って、そのことをほめられたげに話した。

すると男は、大いに仰天し、その後二度と逢わなくなってしまった。当然である。そんな女と、誰が添い遂げられるというのか。
元来、女は男より肝が据わっているものである。それを隠すからこそ女らしくてよいのだ。似合わぬ手柄話をしたり、怖いものなどない、などと言う人は、たとえその人に恋する身でも、いっぺんに興醒めしてしまう。平民の女でさえ、肝の太い者は人にじろじろ見られるものである。ましてや位の高い人なら尚更である。松虫鈴虫の他の、変わった虫を見たときも、「あ怖」などと答える方が、すましているよりかわいげがある。

 

■『宿直草』は江戸時代初期・延宝5年頃に荻田安静によって編纂された怪談集だ。奇譚、怪異譚として紹介されることの多いエピソードだけれど、これは300年以上前に書かれた「女子力について」のコラムとして読める。

■前述した「元来、女は男より肝が据わっているもので~」という部分の書き下し文は、原文では“天性、女は男より猶肝太きものなり。其処ら隠すこそ女めきてよけれ。” となる。ここから読み取れることは、女のくせに出しゃばるな・強がるなという男尊女卑的な戒めではなく「女は元から肝が据わっているのだから、男に合わせてやれよ」という教訓なのだ。

モテたいならまずはブラウザをIEに、ホームページをYahooにするんだ

— カワウソ祭 (@otter_fes)
April 15, 2013

 

それが女らしさというものだ

— カワウソ祭 (@otter_fes)
April 15, 2013

 

■上記のpostは大まじめに書いた。宿直草の「富田の庄に住む女」は、ガッツがあり、度胸もあり、頭もいい。けなげで心も優しかったことだろう。なにより、野を越え山を越え、死体を踏んででも走って男の元へ通う「面白い」女だったのだ。だからこそ彼女は、自分の肝の太さをわきまえ、ちょっと変わった虫を見ただけでも「あ、怖~い」と飛び退いて、男の出る幕を作ってやらないといけなかったのだろう。

■そして、はまなかである。はまなかは面白い。しかしちょっと、その辺の奴らよりも面白すぎるのではないか。少なくとも「鈴虫松虫の他の変わった虫を見ても動じずにすましている」程度には。

元彼には「喋る内容がおもしろいのがはまなかのいいところだよ」と言われたけど結局そう言ってくれる人達もみんな最後にはtwitterで診断メーカーしかやらない女と付き合うんだよ

— はなまか (@hmnk)
April 15, 2013

 

■現代において、変わった虫をみて「あ怖」と飛び退き、可愛げを示す例として典型的なのが「何もしていないのにPCが壊れた」ではないだろうか? はまなか、グズグズ言わずに面白いこと言うのをやめよう。そして、webブラウザIEを使って、ホームページはyahoo!にして「何もしてないのにPCが壊れた~!」と泣きついて、気になる男を部屋に呼びつけるんだ。自分のガッツで夜道を走って男の元へ通うようじゃ、強すぎるんだよ。はまなかの走る夜道へ倒れているのは、自らの肝の太さに殺された、先陣の女たちの骸かもしれないのだ。

モテたいので泣きながらプリクラを切るジェスチャーをしてる

— はなまか (@hmnk)
April 15, 2013

 

面白く口ごたえするんじゃない!!!!

— カワウソ祭 (@otter_fes)
April 15, 2013

 

■しかし本当の問題は、300年以上経っても女に虫すら怖がって欲しい男の方にあるのかも知れない。

■男性の皆さまにおかれましては、はまなかがモテたくてオロオロしている今の内がチャンスですよ。放っておくと、もっと面白くなって、あなた方の手の届くような女でなくなってしまうかもしれません。今すぐ!急げ!と、可愛い彼女をオススメしておきます。


6月 3rd, 2013

スズピに関する興奮、または青春の回収について

新宿3丁目で、時々会う友人らとビールを飲んでいた時のこと。そこへたまたま別の友人グループが通りがかり、自分たちを見つけてくれて合流となった。初対面の人間を2人連れていて、そのうちの真っ赤なワンピースを着ていた方がスズピと名乗った。とてもお洒落で可愛く、酒をよく飲んで、アカウントも面白い女だったので、その日のうちに大好きになった。

過日、なぜか卓球の誘いがあり、卓球は生まれてこの方やったことないけどやりたいです、と返信した。誘ってくれた面々は結構な経験者らしく、もう1人未経験者を誘おうと思い立った。スズピに声をかけると、勘が働いたとおり、卓球は生まれてこの方やった事がないという。約束の取り付けはスムーズにゆき、20日に集合が叶った。

夕方の卓球場は思いのほか混んでいて、皆でビールを飲みながら台が空くのを待つ。スズピと会うのは2回目なので、彼女について知らない事を聞く。いつ東京に越して来たのかとか、何の仕事をしてるのかとか。えっスズピの苗字は鈴木じゃないのか、じゃあなんて名前なの、と本名を聞いた途端に、頭が真っ白になった。漫画なら泡を吹いて気絶できただろう。

インターネットが世間に普及して久しい。Twitterはもう5年近く使っていて、その前はmixiを活用していたし、そのもっと前には、メモライズというブログ紛いのサービスにハマった。そのさらに前、2ちゃんねるよりあめぞうが主流で、ISDN接続でテレホーダイの時間に回線が混み合い、カラフルな初代iMacが話題になっていた頃は、みんなタグ手打ちでジオシティーズにサイトを作り、レンタルCGI掲示板を置き、なんというか必死に他人と交流していたのだった。

自分も御多分に漏れず、たまたま父の物好きで導入されたインターネットに夢中になり、夜中までWebサイトにポエムや日記やショートショートを書き溜める湿った青春を送っていた。友達も数人でき、互いに思春期なりのプライドで以って文章を値踏みしたりして。

今では珍しくも何ともないけれど、当時個人サイトでカウンター(もちろんレンタルCGI)が1万単位で回るサイトは結構珍しく、分かりやすい人気のバロメーターとして機能していた。今の中高生なら、Twitterのフォロワー数とかで顕示欲を満たすのだろうか?

自分が一生懸命に更新していたWebサイトは、結構面白いもんね、ファンだっているもんね、と鼻を膨らませても、あからさまに人気がなかった。周囲で特に人気のあったとあるテキストサイトは、めちゃくちゃデザインのセンスが良く、明らかに他の誰よりもヒリヒリと尖った文章をUPするので目が離せなかった。暫く交流が続き、その管理人が同じ年齢だと知った辺りで、人生における初回の「世の中甘くねぇな」をくらったりしたもので…

スズピが名乗ったのは、遥か昔に大好きだった、そのサイトの主の名前なのだった。

インターネット経由で人と会うのはもう何十人と経験があり、ごく日常的なことだ。そうすると、友人知人間のザックリしたネットワークがイメージできる。オフラインでの人間関係も同じく、誰と誰が繋がるのは、なるほど考えてみれば必然…という風に物事を捉えることはできるつもりだ。

その上でもここまでの偶然は久々というか、初めてかもしれない。遥か昔に好きで見ていた日記の主が、たまたま共通の友人と繋がり、新宿3丁目で通りすがり、Twitterでフォローしてくれていて、気が合って、ワケのわからん誘いに乗ってくれ、一緒にビールを飲んでいたのだ。

他人との巡り合わせにはかなり恵まれ、色んな偶然や必然の出会いを頂いてきたけれど、流石にひっくり返りそうになった。スズピも大概驚いてたけど、こっちはその比じゃない。アイデンティティの形成に関わるレベルで折れたり焦がれたりしていた身で、彼女の名前を忘れる筈はない。

スズピはもうすぐ結婚するそうだ。それは「あの子」が人生をちゃんと泳げているということの証で、かつての不安定な日々が報われつつあることの現れで、帰りの電車の中、段々よく分からない涙が出てきた。色んな場所へ無造作に置いて来た自分の卑小な青春が、ウロウロと彷徨った挙句、ちゃんと手元に帰ってきた様に思えたのだ。

「ものすごい事」に直面した時の、喜怒哀楽どれにも当てはまらない昂ぶりを何度か経験し、その度にとかく人生とは心を揺さぶる出来事が起こるものなのだ、と納得するしかなかった事を思う。神や仏の仕向けたことではなく、そこにあるのはただ強烈な縁なのだ。 最近毎日聞く曲の歌詞がよぎる。

「簡単まやかし すでに裏返し/午前三時のおとぎ話/散々頻繁で行き場はもうナシ/経験と言えるものは恥さらし/目に見えるだけで目に見えない/目に見えるだけど見えてこない」

好きな曲の歌詞に色々な思いを託して、感慨深くネットに上げて!
でも、ちゃんと生きてこれたね!

誰にも分からない場所で、こうして半笑いのまま青春を回収し、ただ頷いています。