愛しの他人

他人がすき

天国での思い出

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2年間ほど天国でアルバイトしたことがある。20年以上続く老舗で、薄暗い店内に重厚な木製カウンターがアールを描き、控えめな音量でジャズが流れていた。店に立つのは当時70歳のマスターと、勤続10年以上になる接客の神と、酒飲み担当の賑やかし。白髪のマスターは血色も良く姿勢はしゃんとしていて、いつも銀縁の丸メガネをかけ、ベストに蝶ネクタイを合わせ、ピシッとキメてお客さんを迎える。人気のお酒は竹鶴の12年か、鶴の17年。カクテルはスタンダードなものだけ。マスターに合わせてお客さんも白髪の紳士が殆ど。みんなとても品が良く、政治家とヤクザはお断り。好きな場所で好きな客だけを相手に、好きなように営業する。今までに知る限り、最も天国に似たBARだった。

その天国を構える以前も、マスターはずっと水商売一徹だったそう。学生時代にアルバイトでBAR(と言わず、当時は洋酒喫茶と呼んだとか)に務めたのが面白く、雇われ店長になり、店を出し、景気に合わせてどんどん店を増やし、女で転んで全部畳んで…50年ほど色々なことがあり、行き着いたのがこの店なのだと話していた。

マスターが人生で初めて務めた“洋酒喫茶”の話を聞いた事がある。店名は「どん底」といって、京都の市街地から少し離れた所にあり、地下1階の小さな店だったとか。今はとっくに無くなったけれど、偶然その場にいたお客さんも、昔飲みに行ったよ!と嬉しそうだった。店名はゴーリキーの芝居が由来かな…とは考えていたけれど、話を聞いた数年後に上京した際、新宿に同名の居酒屋があることを知った。聞けばこの店こそ、ゴーリキーの芝居に由来して名付けられ、新宿で60年余も愛され続けている老舗らしい。ただ、京都に支店があったことは無いようだ。1951年創業とあり、マスターが京都の「どん底」で務め始めた頃には既に人気店だったはず。有名店にあやかって名付けたのか?その時代だけは支店があったのかも?偶然同じ芝居のタイトルから?当時の流行だった?それとも、何も意味なんかないのかも。

周囲に聞いても、新宿の「どん底」に足を運び、店員さんやお客さんに聞いてみても、結局その謎は解けないままだった。

マスターは、決して個性的ではないところが魅力的な人物だった。ごく普通に(と本人が主張する)青春を送り、夜の街を愛し、華やいだ時代には大いに華やぎ、時代に影が差すと共に老いて、昔を知る人たちと過去を懐かしむ。マスターの70年間を知ることは、彼の人となり以上に、あらゆる時代の素直な姿を知ることに通じるのではないかと思う。

田舎から出てきて、新しいものに憧れ、野心に燃える若者だったであろうマスターは、なぜ『どん底』という名前の店を選んで働き出したのだろう?高度成長期の、ワクワクするほど何もない時代に、どんな面持ちでカウンターに立っていたのだろう。同じ頃の新宿「どん底」では、どんな人々が、どんな風にお酒を飲んで過ごしていたんだろう。

またあの天国に立って、お客さんやマスターの話に耳を傾けたい気もするし、別の場所で、自分の生きている時代と素直に付き合い、マスターにとっての「どん底」みたいな場所と出会いたいような気もする。

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あっという間に2週間経ち、今週の日曜もスナックカワウソを開けます。

前半は貸切りですが、22時以降の遅い時間で良ければどなたでもどうぞ。安ワインや焼酎を選んで持って行くので、それらは1杯300円くらいで出します。ツマミも合わせて作ろうかな。連休の中日なので、人の入り方を見て朝まで開けてみようかと思います。夜中の飲み屋街が怖くない成人諸氏、行こうかなと思われましたらば、Gmailの「snack.otter」へご連絡ください。場所などご案内いたします。よろしくどうぞ。