愛しの他人

他人がすき

はまなかについて/女子力よ、屍を越えてゆけ

 

■この日記は長くなる。

今日の議題は「宮崎あおいランドにはどんなアトラクションがあるのか」でした

— はなまか (@hmnk)
April 15, 2013

■「はまなか」という女が現れたのだった。20代半ば、色白で背が低く、初対面でもニコニコしていて可愛らしい。酒もそれなりに飲めるようで、共通の友人が酒席に彼女を招いてくれ、知り合うことができた。店も2軒目になり、大概に酒も回った頃、はまなかが「ちっともモテない。どうしたらモテるのかわからない」と言う。

■帰宅してTwitterを見ると、はまなかは2007年からアカウントを持っていた。古参すぎるだろ、と思いつつフォローを返して数日後に見かけたのが冒頭のpostである。すぐ以下のようにpostした。

はまなか、そうやって面白い事言ってるとモテないぞ。

— カワウソ祭 (@otter_fes)
April 15, 2013

 

はまなかが面白いこと言ったらガンガン取り締まってゆく。

— カワウソ祭 (@otter_fes)
April 15, 2013

 

■はまなかがなぜモテないのか?面白いとなぜダメなのか?ちょっと心当たりがあるのだ。良い転載もとが見つからなかったので、以下自分で保存していたメモから書き下し文のみを抜粋する。

「宿直草(とのいぐさ)」巻二の六
『女は天性肝深き事(女は生まれつき度胸があるということ)』

摂津の国富田の庄に住む女が、郡を跨いで男のもとへと通っていた。道のりは一里以上あるので、行って横になる暇さえ惜しいほどだった。また、ちゃんとした道があるわけでもなく、田んぼの細い畦を行き、里の犬には吠えられて、夜露に濡れる道ばたで行き交う人目をやり過ごし、忍びに忍んで通うのは、まさに恋の奴隷であった。 静かに夜は更け過ぎた夜明け夙の暗闇を、情けに替える一途さは、実に見上げた心である。

通い道の途中に、西河原の宮という、森の深い所がある。そこを越えると、潅漑(かんがい・農地に水を引くこと)用の溝があって、ひとつだけ架けられた橋を渡る。ある夜、女がそこを通ろうとすると、橋が無くなっていた。溝の上流下流を眺めてみれば、死人が一体、溝の中に横たわり仰向けになっている。女は、ちょうどよかったと思い、その死人を橋代わりに踏んで渡ろうとするや、この死人が女の裾に噛み付いて放さない。振り解いて押し通りはしたものの、一町ばかり行き過ぎたころ、「死人に意識はないのに、なんで私の裾に食いついたのかしら。おかしいわ」と、また元の所へ戻って、わざと自分の後ろの裾を死人の口に入れ、胸板を踏んで渡ってみた。すると、さっきと同じように噛み付いた。「さては」と思い、足を上げてみれば口を開く。「やっぱり死人に意識はなかったわ。足で踏むか踏まないかで、口を塞いだり開いたりしたのね」と納得し、男の元へと行った。そして、褥にもぐって寄り添って、そのことをほめられたげに話した。

すると男は、大いに仰天し、その後二度と逢わなくなってしまった。当然である。そんな女と、誰が添い遂げられるというのか。
元来、女は男より肝が据わっているものである。それを隠すからこそ女らしくてよいのだ。似合わぬ手柄話をしたり、怖いものなどない、などと言う人は、たとえその人に恋する身でも、いっぺんに興醒めしてしまう。平民の女でさえ、肝の太い者は人にじろじろ見られるものである。ましてや位の高い人なら尚更である。松虫鈴虫の他の、変わった虫を見たときも、「あ怖」などと答える方が、すましているよりかわいげがある。

 

■『宿直草』は江戸時代初期・延宝5年頃に荻田安静によって編纂された怪談集だ。奇譚、怪異譚として紹介されることの多いエピソードだけれど、これは300年以上前に書かれた「女子力について」のコラムとして読める。

■前述した「元来、女は男より肝が据わっているもので~」という部分の書き下し文は、原文では“天性、女は男より猶肝太きものなり。其処ら隠すこそ女めきてよけれ。” となる。ここから読み取れることは、女のくせに出しゃばるな・強がるなという男尊女卑的な戒めではなく「女は元から肝が据わっているのだから、男に合わせてやれよ」という教訓なのだ。

モテたいならまずはブラウザをIEに、ホームページをYahooにするんだ

— カワウソ祭 (@otter_fes)
April 15, 2013

 

それが女らしさというものだ

— カワウソ祭 (@otter_fes)
April 15, 2013

 

■上記のpostは大まじめに書いた。宿直草の「富田の庄に住む女」は、ガッツがあり、度胸もあり、頭もいい。けなげで心も優しかったことだろう。なにより、野を越え山を越え、死体を踏んででも走って男の元へ通う「面白い」女だったのだ。だからこそ彼女は、自分の肝の太さをわきまえ、ちょっと変わった虫を見ただけでも「あ、怖~い」と飛び退いて、男の出る幕を作ってやらないといけなかったのだろう。

■そして、はまなかである。はまなかは面白い。しかしちょっと、その辺の奴らよりも面白すぎるのではないか。少なくとも「鈴虫松虫の他の変わった虫を見ても動じずにすましている」程度には。

元彼には「喋る内容がおもしろいのがはまなかのいいところだよ」と言われたけど結局そう言ってくれる人達もみんな最後にはtwitterで診断メーカーしかやらない女と付き合うんだよ

— はなまか (@hmnk)
April 15, 2013

 

■現代において、変わった虫をみて「あ怖」と飛び退き、可愛げを示す例として典型的なのが「何もしていないのにPCが壊れた」ではないだろうか? はまなか、グズグズ言わずに面白いこと言うのをやめよう。そして、webブラウザIEを使って、ホームページはyahoo!にして「何もしてないのにPCが壊れた~!」と泣きついて、気になる男を部屋に呼びつけるんだ。自分のガッツで夜道を走って男の元へ通うようじゃ、強すぎるんだよ。はまなかの走る夜道へ倒れているのは、自らの肝の太さに殺された、先陣の女たちの骸かもしれないのだ。

モテたいので泣きながらプリクラを切るジェスチャーをしてる

— はなまか (@hmnk)
April 15, 2013

 

面白く口ごたえするんじゃない!!!!

— カワウソ祭 (@otter_fes)
April 15, 2013

 

■しかし本当の問題は、300年以上経っても女に虫すら怖がって欲しい男の方にあるのかも知れない。

■男性の皆さまにおかれましては、はまなかがモテたくてオロオロしている今の内がチャンスですよ。放っておくと、もっと面白くなって、あなた方の手の届くような女でなくなってしまうかもしれません。今すぐ!急げ!と、可愛い彼女をオススメしておきます。


6月 3rd, 2013